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バブル崩壊
地価下落・住宅価格下落
それまで土地神話のもと、決して下落する事が無い、と言われた地価が下落に転じ、以後、2005年に至るまで、公示価格は下がり続けた。 2005年以降は、一部の優良な場所の公示価格が上昇に転じている。
また、バブル崩壊直前に高値で住宅を購入し、以後の価格下落で憂き目を見る例も少なくない。 資産価格が下落したにもかかわらず固定資産税が高止まりしたままだったり、バブル崩壊後の低金利へローンを借り替えようとしても担保割れで果たせないなどである。 高値で買った同じマンションの別室がバブル崩壊後に破格値で売り出され、資産価値下落の補償を求める訴訟も起こされたが、大半は自己責任として補償を得られずに終わっている。
ベンジャミン・フルフォードは、和佐隆弘(元日経新聞論説委員)の言葉を借りて、1963年当時の自治省が地価の大幅な値上がりに対して、固定資産税の課税上昇率を抑えた為に、土地が「もっとも有利な投資対象」となってしまったことを日本の土地神話ないしバブルの遠因として挙げている[6]。
不良債権拡大
景気が後退し、地価・株価が下落すると共に、従前金融機関が多額の融資をしていた企業の業績も悪化し、返済が順調に行えない企業も出てきた。 返済に支障が予想される場合にはリスケジューリングを行ったり、実際に返済が滞った場合には不良債権に区分しなおし、引当金を積み増す必要があるが、これは金融機関の会計を圧迫し経営上の自由を奪い、対外的にも信用を損ねるものとして嫌われ、査定に手心を加えて正常債権とみなしたり、追い貸しをして形の上だけでも本来の債務の返済を正常に行わせるなどして、引当金の積み増しを免れると共に自身の経営を健全に見せる弥縫策がしばしばとられた。 すぐに景気は回復して損失も回復できると期待し、直ちに債権を処分して損失を処理・確定することを躊躇わせたが、この間も混迷の度合いは深まり、不良債権はその数と額を増して重篤化した。
一方で、外部、殊に海外からは金融機関が不良債権を隠していると映り、日本の金融システムに対する不信感が抱かれた。 殊に、日本の会計基準が簿価会計であることが、高値掴みした資産の劣化を隠す手段となり、不良債権隠蔽の温床になっていると指摘し、直ちに時価会計に移行して不良債権を詳らかにし、金融機関の経営状況を公開する様に迫った。

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大手金融機関の破綻
北海道拓殖銀行(拓銀)、日本長期信用銀行(長銀)、日本債券信用銀行、山一證券が、バブル崩壊後の不景気の中で、不良債権の増加や、株価低迷のあおりを受けて破綻した。
政府は当初、大手金融機関は破綻させない、という方針を取っていたが、1995年頃より「市場から退場すべき企業は退場させる」という方針に転じ、不良債権の査定を厳しくして経営状態の悪い金融機関も破綻・再生する処理にかかった。
拓銀は地価上昇を見越して土地評価額に対して過大な融資を行い、また、バブル期の融資に出遅れて、劣後順位での担保設定を行わざるをえなかったことから回収が思うに任せず、不良債権が膨らみ、1997年11月、営業継続を断念した。
長銀はバブル期に不動産・リース等、新興企業に積極的な融資を行ったが、バブル崩壊後はイ・アイ・イ・インターナショナルへの多額の融資の焦げ付きを中心とする不良債権をかかえ経営不振に陥り、1998年10月に制定された金融再生法の下で破綻認定され、国有化された。
日債銀はバブル崩壊で膨らんだ不良債権を飛ばしで処理していたが、1998年12月の金融調査で債務超過と認定され、国有化された。
山一證券は1989年末をピークに株価が下落するのに伴い一任勘定で発生した損失を顧客に引き取らせずに、簿外損失として引き受けて、いずれ株価の上昇で損失が解消するのを待ったが、銀行からの支援を失って1997年11月に自主廃業を選択した(実際には破産宣告をうけて解散)。 証券会社にバブル採用された社員たちは、入社数年で会社が倒産し再就職もままならない状態に陥ったものが多かった。
メインバンク喪失
上記のように銀行が破綻した場合、当該銀行をメインバンクとしていた企業も倒産の危機に瀕する。 貸出枠が縮小して行く中で、他の銀行から改めて融資を受けるのは困難であり、景気全般も悪く好業績も望めない中ではなおさら新たな融資を引き出すことは難しい。 結局融資を得られず倒産に至る企業も多かった。
日本長期信用銀行を再生する過程で、同銀行を買収した投資組合は、取引のあった企業を破綻に追い込んで積極的に瑕疵担保条項を活用して利益を確保する行為に出た。 その結果、ライフ、そごう、第一ホテル等が破綻し、暴挙との批判を浴びた。

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住専破綻
個人向け融資機能の弱かった金融機関が住宅資金需要に応えて設立した住宅金融専門会社(住専)であるが、バブル期前後には、金融機関自身が住宅ローン市場に参入し、住専は本来のターゲットである住宅ローン以外の不動産事業に傾斜した。 優良な債権を銀行等が占有したため、住専はリスクの大きい物件に傾斜せざるを得なかったとの指摘もある。
バブル崩壊後は融資先が破綻するケースに加え、担保としていた土地も値下がりして融資の回収が見込めない不良債権が増加し、住専7社のうち6社は破綻した。 破綻に際しては、住専に多額の資金を融資していた農林系金融機関や銀行を保護するために公的資金が注入された(詳細は住宅金融専門会社を参照)。
一方、案件として小粒であり従来は銀行から重視されていなかった個人相手の住宅ローンが、バブル崩壊後の不況期の中ではリスクが低いことから注目を浴び、それに注力する銀行も出てきた。
ゼネコン問題
バブル崩壊に伴う事業の縮小、経営不振に加えて、プロジェクトにかかる代金支払いの保証をしていたことから、一気に負債額が増加し、経営悪化が表面化したゼネコンが多数あった。 ゼネコンの破綻は雇用不安につながり社会の不利益となるので公的資金を投入して救済すべきとする意見が出る一方で、従前の経営の難点を指摘して市場から退場すべき企業は退場させるべしとする論調も声高になされた。 また、下請けの会社が大手ゼネコンから仕事を受注するに際して、従前は手形払い等、信用を前提にした決済を行っていたものを、現金払いで決済するよう要求することもあった。

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BIS規制
1988年に公表されたBIS規制は日本では移行措置のあと、1992年度末から本格適用されることになっていた。 この規制の適用に際して、金融機関はそれまで大きく広げていた貸し出し枠を自己資本比率を満たすよう縮小する必要に迫られた。
さらに、株価の低迷が追い打ちをかけた。 安定株主の形成にも役だつことから、日本の銀行が取引のある会社の株を持つ事が普通に行われていた。 ところがBIS規制では、所有する株も自己資本として算入されることから、バブル崩壊後の株価低迷で所有する資産が目減りし、それだけ貸出枠も縮小した。
尚、国際業務を行う金融機関の自己資本比率の基準として8%が示されたが、BISそのものでは、国内業務に限った場合などの個別の規定を設けておらず、日本では国内の業務に限る金融機関は4%で良いとした。 経営状況を勘案して、海外から撤退して業務を国内に限る邦銀もあった。
貸し剥がし・貸し渋り
総量規制に加えて、BIS規制、株価の下落が、金融機関の貸出枠に枷をはめて、金融機関はそれまで大きく広げていた貸し出し枠を自己資本比率を満たすよう縮小する必要に迫られた。 これに応じて、過剰に貸し付けていた融資を、半ば強引とも見える手法で引き上げる貸し剥がしも頻発し、景気の悪化に輪をかけた。
突然に全額一括返済を求めるほかに、それまで定常的に融資を繰り返してきたものを一方的に停止するのをはじめとして、「今後も融資を継続するために」「内部処理の都合で」「新規・追加融資を纏めて一つの枠にするために」などの説明をもって融資を一旦引き上げたところで前言を翻して融資に応じない、などである。 貸し剥がしにより運転資金を絶たれて倒産に追い込まれる企業も続出した。
融資の約束を反故にされたとして訴訟に持ち込んでも、多くの場合は次の融資は口約束でなされるため、決定的証拠に欠け、また、銀行の融資の判断が優先される事が大半で、結局泣き寝入りするケースが多い。 その他に、故なく、あるいは些細な理由をもって預金と融資を相殺して引き揚げる、など借り手側から見て強引な手法がとられることもあった。 また、新規の融資にも消極的な姿勢を示し、貸し渋りとの批判もあった。

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引当金
金融機関では融資先の中に不良債権と区分されるものが増えるに従い、引当金を積み増す必要に迫られた。 収益の中から、引当金として確保するべき部分が増えるに伴い、金融機関の経営を圧迫した。
尚、景気の回復に伴い不良債権であったものが正常債権に区分される様になると、これらの引当金は利益に組み入れられ、2005年以降の銀行の利益拡大の一因となっている。
格付け引き下げ
バブル崩壊後、金融不安が拡大すると同時に、邦銀、日本の企業、そして、日本国債に対する、いわゆる格付けも順次引き下げられた。 その都度、国内からこれらの評価が不適切であるとの抗議の声が出された。
ジャパン・プレミアム
上記の格付け引き下げも相俟って、日本の金融システムに対する信用が落ち、邦銀が海外で資金を調達する際に、通常に較べて高い利率を要求された。 相手が邦銀であることを理由に積み増す利率は、ジャパン・プレミアムと呼ばれ、1997年秋や1998年秋に上昇し最大で約1%に達したが、1999年には低下していき、2000年になると、この積み増しはほぼゼロとなった。
海外からの撤退
かつて海外の不動産や資産、企業を購入して進出していた企業が、本業の業績悪化に伴い、撤退を余儀なくされた。 前述の三菱地所は、ロックフェラー・センターの主要部分を、買収時価額を大幅に下回る価額で手放さざるを得ず、大きな損失を出して撤退した。
最近様子がおかしい
セフレ関係も終わりに近いのかもしれない。
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