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住宅高騰
地価上昇は、都市近郊に適当な戸建住宅を取得する事を困難にした。 日本のような戸建主義的な都市構造において、いずれは戸建住宅を取得することが人生の夢・目標の一つであるとされ、それを動機として貯金に励む事も行われていた。 しかし過度の地価上昇を見て、これ以上値上がりする前に一刻も早く住宅を取得するべきだと考える人も増え、その行動は、また、地価上昇に拍車をかけた。 あまりにも住宅が高騰して、平均的な収入では最早購入するのが不可能な域に達すると、二世代ローンも登場した。 本人の資力で支払きれないところを、その子の資力をもって補うものである。
地価・住宅高騰と共に相続税も無視できない額に増えた。 特に、長年のローンを組んで余裕が無い状況で相続が発生すると、支払うべき相続税を用意することができずに困窮する事もある。 これに対応する為に、親類縁者の若者を養子にして一人当たりの相続額を下げて相続税を節約する手法がとられたり、変額保険を利用する節税手法が利用された。 しかし、バブル崩壊後は資産運用の計画が狂い、窮地に追い込まれる契約者もあった。
住宅すごろく
地価上昇を前提とした住宅取得のモデルも提示された。 若いうちに小さいながらもマンションを取得し、それを下取りに出して順次条件の良いマンションに買い換えれば、最終的には望む戸建ての住宅を手に入れるとされ、「住宅すごろく」とも言われた。 単に貯蓄をしていては住宅高騰に決して追いつけないが、マンションを資産として購入しておけば価格上昇が見込めて有利である、と説かれた。 しかし、バブル崩壊後は物件を見極める目も厳しくなり、単にマンションである事では資産価値を認められなくなった。 事実上資産価値の無くなったマンションに対する多額の支払いが残り、負債を抱えて身動きが取れないケースもある。
他方、あまりにも高騰した住宅の取得を早々にあきらめ、収入を貯蓄する事なく、高級車などの耐久消費財などの購入に充てる刹那(せつな)的な動きもあった。 これは、さらなる消費の過熱と貯蓄率の低下につながった。
地価高騰を見て賃貸住宅の家賃も高騰し、結局都心から離れた土地へ移転を迫られ、通勤時間が長くなるという状況も生まれた。 これら地価高騰と住宅問題は当時の日本政府の懸念事項であり、後の地価抑制政策につながり、信用構造を圧迫することになった。

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国鉄清算事業団
国鉄清算事業団は、旧国鉄から引き継いだ未利用地を販売して負債削減を図った。 その中でも汐留駅跡地は都心にあるまとまった優良地として、注目を集めた。
実際には地価のピークをとうに過ぎてから売却にかかり、その他の土地も国鉄清算事業団の解散を控えて全て処分する必要があることから、バブル崩壊後の地価下落とも相俟って投げ売り同然で処分せざるをえず、結局、事業団全体では負債を増やした状態で解散した。
リゾート地開発
ほぼ同時期にリゾート法が制定(1987年)され、都市から離れた地域においても、大企業を誘致してリゾート施設を開発する動きが活発となった。 特に北海道ではスキー場などのリゾート事業が急激に拡大した。 これにより、それまで見向きもされなかった土地が相当な価格で取引されるなど、土地価格の上昇に拍車をかけた。
またゴルフ場の会員権の価格は高騰し、それとともに次々に豪華な設備を持ったゴルフ場の開発が全国で進められた。 なお、当時のゴルフ場のテレビCMでは、バブル景気崩壊後なら「○○自動車道○○インターから車で○分」などとするところを「東京ヘリポートから○○分」などと案内するほどであった。

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財テクと消費の過熱
バブル経済下では金融・資産運用で大幅な利益を上げる例が強調され、企業においても本業で細々と着実に利益(インカムゲイン)をあげるのでなく、所有する土地や金融資産を運用して大きな収益(キャピタルゲイン)を上げる「財テク(○○転がし)」に腐心する例もあった。
潤沢な資金による買いあさりの対象は、NTT株の公開に伴う一般投資家による投資や、フェラーリやロールス・ロイス、ベントレーなどの高級輸入車、サザビーなどが開催したオークションによるゴッホやルノアールなどの絵画や骨董品、にまで及ぶなど、企業や富裕層のみならず、一般人まで巻き込んだ一大消費ブームが起きた。
これらの背景には、中小企業主に対する融資が緩くなったことや、企業に勤めて新居購入のために貯金をしていた世帯が、土地価格の急激な上昇のため新居取得を諦め、新車購入や旅行、消費に走ったことが原因として挙げられる。
海外投資
潤沢な資金を得た企業が、海外の不動産や企業を買収した。 著名なところでは三菱地所によるロックフェラー・センター買収(2000億円)、ソニーによるコロムビア映画買収をはじめとして、海外不動産、海外リゾートへの投資、海外企業の買収が行われた。 また、企業に留まらず、土地を担保に大金を借り入れた中小企業オーナーや個人、マイホーム資金を貯蓄していた個人の中からも、海外の不動産に投資を行う者が出てきた。
一方で象徴的ビルや企業が日本企業の手に渡ったことにつき、アメリカの心を金で買い取ったとする非難が浴びせられた。 また、海外不動産への投資は現地の地価の高騰を招くとともに資産税を上昇させ、正常な取引を害し地元経済を混乱させたものとの非難が浴びせられた。

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流行語と娯楽
1984年には、金持ちと貧乏を対比させた渡辺和博の著書「金魂巻」で使用された「○金○ビ(まるきん・まるび)」が流行語大賞となる。
新たな価値観・感性を持った若者は「新人類」と称された。 ファッションではDCブランドが持て囃され、その販売員は「マヌカン(ハウスマヌカン)」と呼ばれた。 「ワンレン・ボディコン」の女性が求める結婚相手は「三高」であり、若手エリート「ヤンエグ」(ヤング・エグゼクティブ。 30代で役付)の服装はソフト・スーツであった。 ウォーターフロント地区がトレンディとされ、「空間プロデューサー」がデザインした飲食店はカフェバーと呼ばれた。
海外旅行者が激増したのもこの時期からである。 家庭用ゲーム機業界においてもファミコンの次世代を担う次世代機の競争が各社で始まっていたが、中でもNECホームエレクトロニクスが開発したPCエンジンの周辺機器は、当時最新鋭だったCD-ROMシステムをゲーム機に組み込ませた製品が4〜5万円で発売されるなど、ゲームにおいても高級志向が浸透しつつあった。
モータースポーツブーム
こうした熱狂の中、1987年の中嶋悟のフォーミュラ1への参戦を機にモータースポーツブームが巻き起こり、多くの日本企業がF1チームの買収やチームのスポンサーに名乗りを上げた。
また、国内のモータースポーツの最高峰である全日本F3000選手権には、サントリーや日本たばこなどの大手企業から、武富士やプロミスなどの消費者金融業者や、不動産取引で大金を手にしたにわか仕立ての中小企業まで多くの企業がスポンサーに名乗りを上げ、空前の参戦台数を記録した。

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高級車ブーム
「六本木カローラ」BMW3シリーズ日産・シーマやトヨタ・ソアラ、トヨタ・クラウンなどの国産高級車への人気集中(「シーマ現象」と称された)が起きた他、ステータスシンボルとされていた外車も、その販売台数の急増から、メルセデス・ベンツ 190Eが「コ(子)ベンツ」、BMW3シリーズが「六本木カローラ」などと揶揄された。
特に高級外車は、東京都心や大阪市内などの大都市の道路でメルセデス・ベンツ560SE(ケーニッヒやキャラットコンプリートなどのチューン版も多かった)やポルシェ・911、ジャガー・XJなどが走っているのが全く日常の光景の一部となり、フェラーリやランボルギーニ等のロードゴーイングカーや、マセラティやデイムラーなどの、これまで輸入台数の極端に少なかった高級車が走っていることでさえ、大都市近郊においては特に珍しい存在ではなくなったのはこの頃以降のことである。
またこの当時、ヤナセ(メルセデス・ベンツ)やBMWジャパン(BMW)などの正規輸入販売代理店経由でこれらの車を購入する場合、車種によっては注文してから納車されるまで1年以上かかるケースがあっため、輸入車専門店がドイツやアメリカ、ドバイなどから新車(時には中古車)を並行輸入し、「即納車可能」として正規輸入販売代理店の販売価格に上乗せしたプレミアム価格で販売しているケースもあった。
フェラーリ
フェラーリF40この頃フェラーリは、1988年に創設者のエンツォ・フェラーリが死去したこともあり、新車のみならず中古車価格も世界的に高騰していた上に、人気車種の「テスタロッサ」を正規輸入販売代理店のコーンズ・アンド・カンパニー・リミテッドで新車を注文してから納車されるまで2-3年待ちという状況であった。
そのせいもあり、限定で生産された「F40」は、コーンズ・アンド・カンパニー・リミテッドでの新車価格が4,650万円のところ、並行輸入された新車(即時納車可能)が輸入車専門店で2億5,000万円で、「テスタロッサ」が同じく新車価格が2,300万円のところ、5,000万円近くで販売されていたという記録が残っている。
ロールス・ロイス
1990年にはロールス・ロイスの全生産台数の約3分の1強が日本で販売された。 その後バブル景気が崩壊し、これらのロールス・ロイスが持ち主の手から離れたために、日本におけるロールス・ロイスやベントレーの中古車市場が大暴落し、その結果、これらの多くが1990年代中盤に海外に買い取られていった。
人気があるのは何故か? 熟女はやっぱりいいものです。
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